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築堤へ登る段の所で、長い竿を持ち扱ひにくがつて立停つた房一の背後から、盛子はふいに呼んだ。
顎から後頭部にかけてと背部と二所を大きく繃帯でぐるぐる巻きにされた男は、やがて待合室へつれて行かれ、ごろりと転がされた。はじめからしまひまで一言も口を利かなかつた。
と、加藤巡査はくり返した。
母家の方には父親の正文がいるのだらうが、ひる寝でもしているのか物音がなかつた。練吉は井戸端へ出て身体を拭くと、居間になつている診察所の二階へ上つて来た。その途中で、看護婦に自転車の鞄を外して、中にある処方の薬をこしらへて置けと云ひつけた。そして、さつき配達されたばかりの前日の新聞をつかむと、腹ばひになつて読みはじめた。
「さうだよ、ジョン」
盛子は妊娠していた。
と、房一が声をかけた。
前に書いた「な」の字さんの知っているのはちょうどこの頃の半之丞でしょう。当時まだ小学校の生徒だった「な」の字さんは半之丞と一しょに釣に行ったり、「み」の字峠とうげへ登ったりしました。勿論半之丞がお松に通かよいつめていたり、金に困っていたりしたことは全然「な」の字さんにはわからなかったのでしょう。「な」の字さんの話は本筋にはいずれも関係はありません。ただちょっと面白かったことには「な」の字さんは東京へ帰った後のち、差出し人萩野半之丞はぎのはんのじょうの小包みを一つ受けとりました。嵩かさは半紙はんしの一しめくらいある、が、目かたは莫迦ばかに軽い、何かと思ってあけて見ると、「朝日」の二十入りの空あき箱に水を打ったらしい青草がつまり、それへ首筋の赤い蛍ほたるが何匹もすがっていたと言うことです。もっともそのまた「朝日」の空き箱には空気を通わせるつもりだったと見え、べた一面に錐きりの穴をあけてあったと云うのですから、やはり半之丞らしいのには違いないのですが。
「これはどこに置きますかね、この漬物桶は。――はい、はい。どつこいしよ、と」
「さうだ、鍵屋の法事へ行くんでね。さつきは、君にさう云ふのを忘れていたが――まあ、上りたまへ」
一人は徳次で、もう一人は中肉中背の、だがそのやさしい女性的な顔立ちのためか、実際よりはうんと小柄に見える小谷吾郎といふ呉服雑貨店の主人だつた。彼の眼は黒瞳くろめがちで、やさしいうるほひがあつた。眉も恰好がよかつた。鼻筋もよく通つて、その下には稍やや肉感的な紅味のある唇が心持ふくらんで持上つていた。もしこの顔に、年配から来る自然の落ちつきと、どこか我儘な子供を思はせるやうな疳かんの強さといふ風なものがなかつたら、その女性的な顔立ちはきつと見る人に一種の悪感をかんを覚えさせたにちがひない。それに彼の声は細い疳高い響きを持つていた。
「よからう」
「梨地から水神淵へ降りる路ができたからね、そこへ出れば、帰りはずつと楽だ」